館内案内

①井戸

・当館入口にはつるべ井戸があります。

・水道が整備される昭和30年頃まで、この井戸は生活用水として近所の人に重宝されました。桃崎見初地区の水はこの井戸と他二件の井戸でまかなわれました。

・水道が整備されてからは使用される頻度が減り、その役目を閉じていましたが、平成19年(2007)12月に屋根・滑車を整備して、井戸を往時の姿に復元しました。

②坪の内

・当館母屋には坪の内という庭が付属しています。ここには庭木が15本程植えてあります。

・桜(館長手植)、モッコク、ヒマラヤシーダー、バベ、チャボヒバ、萩等があり、モッコクは友吉が分家した時に購入したものです。

・坪の内には館長が考え、配置した石庭があります。坪の内の石は15年程前まで建っていた前の納屋(現、前の畑)を取り壊したときに大量に出て来たもので、一つの石でも無駄に出来ないという館長の考えのもと、家族総出で石を運び、配置しました。

・石は熊野大花火を意識して花火が開くように配置されています。

 

③坪の内の門

・平成30(2018)年9月30日に紀伊半島を通過した台風24号。当館の庭木が植えられている坪の内の門が倒壊しました。

・門は59年前(昭和34・1959年)に発生した伊勢湾台風で一度倒壊し、10年程前の台風で門の左部分が腐り、現在、ブロック塀になっている部分にも塀で囲われていましたが、倒れてしまいました。

母屋

④玄関

・玄関の床は三和土(タタキ)で作られています。三和土(タタキ)とは、土に石灰と苦汁などをまぜて、叩いて固め仕上げたもののことで、古くから日本の民家の土間を中心に使われてきました。

・玄関を入ると館長が描いた80号×二枚の「寝地蔵さん」が迎えてくれます。

⑤中の間・奥の間(話し場)

・「寝地蔵さん」を両端に置いて、戸を開くと中の間と奥の間があります。

・中の間と奥の間は6畳二間の部屋です。冠婚葬祭等が行われた部屋なので、30人程入ることができます。

・当部屋は中川一政作「一燈」、「為田垣内君」、館長作「鎮魂北山郷一揆殉難者」、「油屋おこん峠越えの図」が展示されています。

納屋(館長アトリエ)

⑥館長アトリエ・書斎

・当建物は郵便局局舎や納屋を取り壊し、平成6年(1994)に納屋として再建したものです。

・当部屋は当初、米倉として米が置かれていましたが、平成10年(1998)に米倉を移し、館長のアトリエとして改築しました。

・アトリエには、館長が自由美術に出品した作品や、蔵書、書類、石蔵で保存されていた食器類が納められています。

⑦石庭

・当館には、石蔵隣通路から出た石を館長が配置した石庭が坪の内以外に三ヶ所あります。

・石蔵隣通路は平成28年(2016)と平成29年(2017)の年末に通路をコンクリートで塗るため、昔の通路をはがしたところ、大量の石が出てきました。これらの石をそれぞれの石庭の場所まで運び、5回にわけて石を配置しました。

・なかには、鑿(のみ)で掘られた跡もあり、これらの石を大又川から運び、五郷の景色を造りあげた先人の労苦には驚かされるばかりです。

(1)納屋前の石庭

・2年ほど前まで館長の母の花壇でしたが、花壇の場所を一箇所に集めたため、地元の石工職人、山下祥正氏にコンクリートで整地していただきました。

・平成29年(2017)に石蔵隣通路から発掘された石を一度ここへ集め、比較的小さい石は石蔵前石庭に運び、残りの大きい石をここに並べました。

(2)木倉跡の石庭

・木倉は平成5年(1993)まで建っていた納屋の付属建物だったため、納屋の取り壊しの時、取り壊しました。

・木倉跡に館長は池をつくろうとしましたが日当たりがよくないので、石庭を平成15年(2003)頃からつくり始めました。

(3)石蔵前の石庭

・ここは昔、池があったそうです。蛇がよく出るので池をやめて、土を入れて整備しました。

・ここには、平成28年(2016)、平成29年(2017)の石蔵隣通路から発掘された石が配置されています。

石蔵

・石蔵は友吉の大叔父である田垣内松之助が分家したとされる明治元年(1868)前後に母屋と共に建築されたとされます。

・外観は寄棟造りの瓦屋根で、五郷町湯の谷の河原にあった大岩を切り出し、煉瓦のように積み上げられています。大岩は河原でいくつかに切り分けられたあと、現在の場所まで運ばれました。そして、石工職人の手によって、長さ約一㍍、幅約三十㌢に成形され、高さは石積みだけで約五㍍もあります。

・石蔵前方の庭には、成形時に出た岩の破片が大量に埋められています。

 

⑧石蔵一階

・石蔵一階は二間に分れ、二間には田垣内家で長年にわたり使用されてきた民具や戦前の新聞、写真等が整然と展示されています。

⑨石蔵二階(田垣内友吉アトリエ)

・石蔵二階は友吉が、亡くなるまでの間、アトリエとして使用されていました。

・友吉の亡き後は、田垣内家の物置き場と化し、うずたかく積まれた生活用具や段ボール箱などで、足の踏み場もないほどでした。

・友吉の絵画や絵画の用具類は、同じ二階の物置に保管されていました。

・友吉は石蔵を画室として、こよなく愛し、日記には「石倉は誠に画室としてよい、自分は之だけの画室をもち得べきことを誇りとする・・・」と記してあります。


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