桃崎郵便局(現五郷郵便局)について

・桃崎郵便局は、明治34(1901)年2月1日、田垣内松之助によって開局されました。開局当時は母屋で事務が執られていましたが、開局から二年後の明治36年(1903)10月15日に局舎を完成させて、初代局長として松之助が就任しました。

・局長は松之助死亡後、二代局長として松之助の甥・粂吉が継ぎ、三代局長として、粂吉の長男である保太郎が継ぎました。

・局舎は以後、昭和39(1964)年4月26日まで郵便局としての役目を果たしましたが、平成5(1993)年、老朽化により、残念ながら取り壊しとなりました。

・当局舎は、当地としては珍しい明治建築として石蔵と共に注目され、三重県教育委員会「三重県民家調査概報」.「日本の建築」.「改訂東海の明治建築」.地方新聞等に掲載されました。


桃崎郵便局局舎掲載文章

①『総覧 日本の建築 5 東海』

 街道沿いの町並み、集落の一隅に佇む小規模な郵便局舎の中には、近世宿場町の問屋町に通じるような、ある種の風格を備えたものが少なくない。旧桃崎郵便局はその一例となるもので、明治三十六年に土地の旧家田垣内松之助が大工棟梁城内虎之助によって、自宅に隣接する街道沿いに建設している。建物はほぼ正方形平面の総二階建てで(後に下屋を設けて事務室を広げている)、壁面を下見板張りとし、桟瓦葺き、方形の屋根をのせる。その意匠は控え目ながら洋風を指向きしたもので正面の玄関庇の幕板には郵便の便利さをうたった一句を彫刻などの素朴な工夫も見られる。

 内部は一階前面を客溜りと事務室とし、その背面に階段通用口当直室を置く二階は三室に仕切って休憩や事務に当てられたものであろう。

②「三重の民家」

 母屋の東に旧桃崎郵便局があり、これは明治三十四年ころ開局したことが南牟婁郡誌に出ており、田垣内氏の母屋・旧郵便局および付属納屋・石造倉庫などは同じ大工により同時に建てられたといわれている。母屋もほとんど昔のままで改造部がなく、明治の終りころの建物の製作年代を推定するよい参考資料になる。石造倉庫の玄関の洋式装飾・郵便局の玄関・鎧戸のある窓・天井などには明治建築の特色をよく表している。局舎の屋根は宝形造りとなり、その上に宝珠・露盤がのっているため寺の屋根の感じを受けるが、浅い軒を受ける洋風の持送りには明治の手法が強く出ている。(文・森田利吉=県文化財保護審議会委員)

③『改訂東海の明治建築』

 この建物は、田垣内松之助が自邸に隣接する街道沿いの敷地に建てた郵便局舎である。棟札によれば、明治三六年四月に上棟、大工棟梁は城内虎之助である。

 建設当時は、平面がほぼ正方形の総二階建であったが、東方に事務室が広がり、約三〇㎡の平屋部分が増築されている。間仕切や間口部などにもかなりの改修が見られ、近年無住になっているため、やや荒廃の感は避けられないが、なお創建時の姿をよく伝えれいる。各部の意匠は控えめであるが、用材や造作の良さが、この建物の質をたかめている。方形屋根の頂部に宝塔状の飾りうを載せたり、玄関庇の妻飾りの幕板には郵便制度の便利さを詠じた一句を彫るなど、おおらかな独創性も見受けられる。

 一階は表側が土間の客溜りと板敷の事務室で、後方には宿直室と階段室、それに西側面からの局員用の出入口が付いている。二階は三室からなり、管理事務休息室として使われていたと見られる。東北隅の小室では紙貼天井にシックイ壁の旧状を良く残している。なお、田垣内邸内には、洋式を加味した石造二階建の蔵が残っており、この郵便局舎と同時に建てられたと伝えられている。

④南紀新報

旧桃崎郵便局舎と石造りの蔵

五郷町・田垣内清之氏敷地内「東京駅」がモデル

 熊野市五郷町桃崎、田垣内清之さん敷地内の「旧桃崎郵便局と石造りの蔵」は訪れる人の明るい町の話題となっている。

 旧桃崎郵便局の建物は寄棟造りの二階建てで、田垣内清之さんのひいじいさんの兄弟の松之助さん(故人)が、初代の郵便局長の頃に新築されたと言うから古い建物である。

 旧郵便局について、いろいろ調べていると、明治中期の「東京駅」をモデルにして建てられたもので明治三十四年二月一日に「桃崎郵便局」として開局されたことが判明。

 現在の郵便局は昭和三十九年に移転新築されたものである。

 五郷町寺谷、徳田秀治(元教諭)先生は、「昔の郵便配達は、今のような道路がなく、山越え谷越えて苦労しながら届けた。神川郵便局は明治十九年頃に開局。桃崎は遅れること十年の歳月が過ぎて明治二十九年頃に、松之助さんの自宅の一室で事務を執り開局していたと言われている。当時としては、田舎の建物の中でひときわ目立った事でしょう。」と話していた。それにしても寄棟の瓦の上に、避雷針がついているので、すぐ目につき珍しさも手伝って、旧桃崎郵便局の歴史が偲ばれる。

最高の技術の結集

三間四方の中二階建ての蔵

 旧郵便局の建物の反対側に石造りの中二階の高さの蔵がある。

 この蔵がいつ頃建てられたか、石工は誰なのか?興味を引いている。

 同町桃崎森村定幸(前五郷郵便局長)さんは、「旧郵便局と石造りの蔵については、なんとか後世に残してほしいものです。当時の最高の技術を集めて建てたものと思はれる。」と話していた。

 石工は当時の名職人と言われた南郡御浜町中立、仲康二郎さんと言われているが、三間(約五・五㍍)四方の中二階建てで重量感がある。

 蔵の窓は鉄製の扉で「鋲くぎ打ち」になっているので珍しい。

 今では電気溶接で行うのが普通ですが、当時の先端技術である。

 鋲くぎ打ちは、明治時代に造船技術は木船から鉄船へと移行していった。

 鉄製の造船技術として生まれたのが「ひょうくぎ打ち」である。

 蔵は普通、木造で建てられるが、田垣内清之さん宅の石造りの蔵は珍しいと言われて人目を引いている。

⑤桃崎郵便局局舎の最後

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