・友吉は27歳から亡くなる一年前にあたる36歳まで13冊の日記を残しました。
・日記は、友吉の絵画制作や家族関係に苦悩する日々のあり方が綿々と綴られていて、内容は直接的な表現は避けられ、詩的で叙情性に帯びたものとなっています。
・日記の解読を6年程前からおこなっていましたが、平成29年(2017)7月に完成しました。3年後の2021年には冊子としてまとめ刊行する予定です。
・友吉と中川一政の出会いのきっかけは不明ですが、友吉日記によれば大正14年(1925)4月頃から、中川の名前が見受けられます。
・「田垣内友吉日記9」によると、大正14年(1925)5月17日から東京へ上京して、5月25日には宿から杉並の中川宅に通い絵画修行を始めます。その日記には中川との会話を記したものが含まれており、その一部を公開します。
中川先生のお言葉‼。
◦
田垣内君の絵は感じから這入って行く絵だねエ‼。
先生‼私の絵は、しかし、弱くはありませんかなア‼。
弱い強いはかき方にはよらないねエ‼。
弱い、かき方でも強く出る場合もあるし‼。
その感じから這入ったことに、もっと腹がすわってくれば大したものだ。
田垣内さんの絵のようなのが余り、あり得ないねエ‼
僕のとなり村の男は何ですよ‼。
日本で一人もすきな画家がないって
どこかの誰とかと・・・・・・・
そんな神経の太い男は駄目だ、そんなこと云ふやつに限って駄目‼。
神経がなるだけ細く、こまかい方がよいんだよ‼。
而して、だんだん太くなって来るのがよいが、始メから太いのはよくないのだ。
◦田垣内君は年をとっているせいか色のこともわかっていると思ふ‼
色もいいよ‼
先生、田舎にいて、一生懸命に絵をならって、年に一度位上京してみて貰っては駄目ですか?
駄目‼ 少なうて二ヶ月に一度でなくては・・・・。
◦わかってからなら田舎にすんでもよいねエ‼
それまでは東京にいなくては・・・・・・・・・。
先生、私は先日、すぐにかへらずに居って、よかったと思ひました。「己」先生の言葉‼
もう知らないと思っていたよ‼。
今度かへって行き切りになるのでなかろふか?
先生、己、知らないよ。
田垣内君
田舎にいると望みが小さくなっていけないんだ。
望みは、なるべく大きく、もたなくては世界一の絵をかくと云ふ位の・・・・・・・・。
田舎にいると、それで批評など、かきたくなる。
色々、考へることは、まァよいかなァ・・。
今、帰って、それ切りになってしまっては駄目ですか?
少しはましかも知れない。前よりはねエ・・・・。
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附言、堀の云ふことは、すべて、先生の言葉から出るものらしい。
くわしいことはわからないが・・・・。田舎にいるとそんなものがかきたくなるんだ。かく云って笑はれたが堀君、仲々まじめらしかった。堀は心で然り、と思ったに違いなかろふと思ふ‼。