・本美術館には、洋画家で文化勲章受章者・中川一政(1893~1991)の作品が五作品所蔵されています。
・友吉は中川から弟のように可愛がられ、中川に出会って2年目である大正15年(1926)に、中川の当時の代表作である油絵「夏の橋」をはじめとする作品を戴いて帰郷したとされます。
・また、中川は随筆家としても知られ、「五月」というタイトルのついた「紀州の山奥より来る人あり。此の人、質朴善良にして…」からはじまる随筆は友吉のことを書いたものとされます。
夏の橋 油彩 大正14年(1925)晩夏
・春陽会第4回展(1925)出品
・この当時、中川はセザンヌに傾倒していました。本作品は、セザンヌの絵画技法を、自分の絵画制作にとりいれた研究作とされています。
・平成9年(1997)3月、何でも鑑定団(テレビ東京)で「仲秋名月」と共に鑑定される。本作品は同年12月と平成12年(2000)5月に何でも鑑定団で評価され、平成12年にはお宝殿堂入りしました。
・平成10年(1998)10月、中川一政回顧展 松任市中川一政美術館に本作品を貸出。春陽会展から73年ぶりに公開されました。
・平成11年(1999)10月、開館10周年記念展 真鶴市立中川一政美術館に本作品を貸出。
仲秋名月 水墨 大正14年(1925)頃
一燈 書 大正15年(1926)夏
・この書は「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。」と読みます。これは、江戸後期の有名な儒学者・佐藤一斎の『言志四録』言志晩録13によるものです。
・意味は「暗い夜路を提灯を提げて行くならば、暗夜を心配するな。ただ一つの提灯を頼りにして行けばよいのだ」だそうです。
・この書は中川が友吉に激励の書として書いて与えたものとされます。
為田垣内君 顔彩 大正15年(1926)7月19日
・当作品は、友吉が所蔵していた「中川一政画集」の奥付に入っていた中川一政の顔彩です。友吉が画集を購入する際に、中川一政に書いてもらったものとされます。
・当作品が入っていた「中川一政画集」には函がついていますが、その函には「我が恩師中川一政先生の著書。郊外代田の宿にて。田垣内友吉所有。」とあります。
五月は春陽会のある時也。
此頃我家には出品の人、見物の人、時々泊客があるが毎年の例也。
一人、紀伊の山奥より来る人あり。此人、質朴善良にして、大雅堂時代の文人墨客の風格あり。決して今の人の面影なし。
上京する順序を問へば何町まで七里、それから又何港まで十里、それから海上何里など余程此山奥に志を抱いて今までをいたりけん。
展覧会のはじめる前にきて、凡そ一月位で帰る。此人此年も上京す。子供二人あり、自分の子供と同じ位の年。
わが家の今宵の客は紀の国人妻子どもらは山中に居る
妻子らのことおもふらん我家にわが子供らの聲をしきけば
旅の身のたれもかくこそ妻子らのかたへに居らで眠る人あはれ
中川一政著『美術の眺め』より